長岡市は平成の大合併で大きくなった町なので、今日は旧長岡市の北にある旧三島郡与板町に行ってきました。
途中、燕市の大河津分水(旧西蒲原郡分水町)を通り、土手沿いを長岡に向かいました。
行ったところは与板の楽山苑内にある楽山亭とその周辺を散策してきました。
苑内をぐるりと回った後、隣にある井伊神社を見て帰ってきました。
楽山亭
楽山苑にある楽山亭は江戸時代屈指の豪商として知られる、大坂屋三輪家11代当主三輪潤太郎の別荘として建てられました。
簡素な中にもきめ細やかな仕掛けと匠の技が凝らされ、客人をもてなす様々な趣向にあふれた「楽山亭」は今も地域の人達から「べっそう」と親しみを込めて呼ばれています。
与板城
与板には与板城が三つります。
一つは、直江兼続の居城「与板城」
もう一つは、その与板城に移る前の「本与板城」
そして、寛永11年(1634年)に 越後長岡藩の支藩として与板藩が発足した時
与板城址の麓に 牧野康成によって築かれたのが「与板陣屋」です。
与板陣屋は 別名を「與板城」または「与板城」と呼ばれ
これが第三の与板城です。後に 井伊家が陣屋に入封し
6代藩主 井伊直朗の時に城主格昇任となり、築城を計画し
7代 井伊直暉の時に 約3ヶ年を費やして城が完成
幕末の戊辰戦争で焼失したといいます。